春分の日お彼岸の由来は?おはぎを食べる理由は?お墓参りを!
2016/01/16
3月は春のお彼岸である、春分の日があります。
毎年、春分の日は何をされていますでしょうか。
一般的にはご先祖様へお参りをしますが、おはぎを作ってお墓参りの際にお供えをしたりしますね。
今回は、春分の日の気になる点をご紹介していきます。
秋のお彼岸と合わせて是非参考にしてください。
春分の日お彼岸の由来は?
「春分の日」とは、国民の祝日のひとつであり、1948年の国民の祝日に関する法律によって制定されています。
趣旨としては、「自然をたたえ、生物をいつくしむ」こととなっていて、まさに春らしい趣旨ですね。
春分の日は毎年3月21日や3月20日となったりと、日付がことなりますが、これには春分の日の決め方に理由があります。
そもそも「春分」とは冬至や夏至、春分なども含まれる、二十四節気の第4番目にあたり、昼と夜の長さがほぼ等しくなる日です。
二十四節気を配置する方法のひとつに定期法というものがあり、これは太陽の天球上の通り道である黄道と天の赤道の交点を基点として24等分したものから導き出す方法のことをいい、この基準としている交点をいわゆる春分点としています。
春分点を太陽が通過した瞬間を「春分の日」としているわけです。
祝日法上においても、「春分の日」を「春分日」とすることは規定されていても日付自体は固定されていないのは、毎年の「春分の日」は国立天文台が作成している「暦象年表」に基づいて閣議で決定し、決定する日の前年2月第1平日付の官報で暦要項として公布されているためです。
天文観測に基づいて仮定したもので計算は出来ますが、実際には前年の2月にならなければ確定はされていないということになります。
来月は2月ですが、来年の「春分の日」が確定するのも間近ですね。
ちなみに、今年2016年は3月20日となっていますので、お間違えなく!
春分の日お彼岸におはぎを食べる理由は?
お彼岸と言えば、おはぎがありますが、なぜ、おはぎを食べるのでしょうか。
おはぎを食べる習慣は江戸時代の頃から始まったと言われていますが、おはぎに使われている小豆(あずき)の赤色が災難から身を守る効果があると信じられていて、邪気を払う信仰がご先祖様の供養と結びついたと言われています。
ちなみに、お彼岸は春分の日の春と秋分の日の秋のふたつあり、呼び名もそれぞれ異なってはいますが、同じものとなります。
春・・・ぼた餅
秋・・・おはぎ
漢字で書くと、ぼた餅は「牡丹餅」、おはぎは「お萩」となり、それぞれ季節にちなんだ呼び名になっています。
また、地方によっても異なりますが、一般的に牡丹餅は大きい丸めの形で、おはぎは小さめの俵の形としているところが多いです。
使う餡子も、収穫時期の秋には粒あんを使用し、収穫時期から時期が経過した春には小豆の皮のかたさを取る為にこしあんとしています。
甘い物が貴重だった昔では、お彼岸の時期に食べることが出来る、おはぎ、ぼた餅は御馳走となっていました。
地方によっては、もち米を主とするものが「ぼた餅」で、うるち米を「おはぎ」とする説などもありますが、季節によっても呼び名が違っています。
春・・・牡丹餅
夏・・・夜船(よふね)
秋・・・御萩
冬・・・北窓(きたまど)
「ぼたもち」は、ことわざにも使われることが多く、古くから日本人に密着した食べ物だったことが伺えます。
春分の日お彼岸にはお墓参りを!
春分、秋分の日を挟んで前後の七日間を彼岸といいますが、初日は「彼岸の入り」真ん中の日は「中日」、最後の日を「彼岸明け」と呼びます。
春分の日は先ほども述べた通り、「自然をたたえ生物をいつくしむ」趣旨ですが、秋分は「祖先を尊び亡くなった人をしのぶ」こととなっています。
彼岸とは、あの世(彼岸)の死者の安らかな成仏を願う意味があります。
仏教では、現世を此岸(しがん)といいあの世を彼岸(ひがん)といいますが、浄土三昧経においては八王日(立春春分、立夏夏至、立秋秋分、立冬冬至に修業をすること)の思想があって、とくに春分と秋分が昼夜同じ日であり、仏道も中道を尊ぶところから、この時期に仏事を行う考えが生まれてきたといわれています。
まとめ
お盆時期、秋のお彼岸の時期と合わせて春分の日と、季節の節目にはご先祖様へご挨拶へ行くようにしたいですね。
遠方でなかなかお墓参りに行けないというかたも、遠くからご先祖様を敬う気持ちを大切に、日々感謝の気持ちを持って生活していきましょう!